宿題代行の意見の大多数は反対派です。
世の中の意見が知りたい方へ、宿題代行の反対意見をまとめました。
「議論するまでもなく宿題代行はダメでしょ?私の考えは間違ってないよね」
「宿題代行を利用してみようか悩んでいる。ただ後ろめたい気持ちもある。だから反対の人の意見が知りたい」
反対の意見を知りたい人に向けた記事になります。
宿題代行はモラル的に良くないとは言うけれど、その境界は曖昧です。お金を払って宿題代行してもらうのはだめだけど、親が代わりにやるのはセーフみたいな傾向があります。
当記事では、反対派の意見を求めるとともに、宿題代行はどこまで許されるのかお話しします。
ぜひご覧ください。
反対意見をまとめると主に2つ
反対意見をまとめると、その主張は主に2つに分けられます。
- ずるい・不公平
- 子供に悪い価値観を与える
と言うものです。それぞれ詳しく見ていきましょう。
ずるい・不公平
「ちゃんと宿題をやっている子もいるのにずるい」
「宿題をやらないなら、やらないまま提出すべき」
みんなやっているんだから、あなたもやりなさいという意見です。
私はこの考え方は嫌いですが、平均化・みんなと同じをよしとする日本ではよくある傾向です。
子供に悪い価値観を与える
「お金で何でも解決できると、子供が勘違いするから教育上よくない。子供のころからそういう価値観を身につけてしまうと、ろくな大人にならない」
「子供に嘘やごまかしを教えてしまう。大人が率先して先生を騙すようなことをしてはいけない。」
宿題代行を利用する親がわざわざ子供に「お金って解決したよ」なんて言わないと思いますが、「お母さんが代わりにやっといたよ」くらいの嘘はつくかもしれませんね。
宿題代行を利用する子供は塾の宿題や他の習い事に時間を割いていることがほとんどです。学校の宿題をやっていないけど、他のことをやったので仕方ないと思うのでしょうか?子供自身に罪悪感はあるのでしょうか?
そこで議論の解決策として、よく提案されるのが「宿題代行に頼むくらいなら、正直にやっていないと先生に言え」というものです。
宿題を提出しないとどうなるのか検証してみましょう。
宿題代行を利用せず、宿題をやらないという選択肢はアリか?
なしです。
学校は宿題をやらないということを許してくれないからです。
もしも夏休みの宿題をやってこなかったら、学校はどう対応するかというと、遅れてもいいからやって提出しろといいます。
それでも頑固としてやらないと放課後に居残りを強いられます。
成績に響いてもいいから宿題をやらないという選択肢を選んでも、それをよしとしないのです。
学校の宿題の代わりに他のものを提出がありか?
これもなしです。
学校の宿題はやらないけれど、他の勉強をやったというのは許されるのか?
例えば
- 宿題で出されたドリルの代わりに、自分で用意したドリルをやって提出
- 出された量よりも多くの勉強を自主的にやって提出
- ただし出された宿題は全くやっていない
といった場合です。
勉強自体をやっているんだからいいんじゃないかと思いますが、日本では許されないでしょうね。
最低限のことをしてからと言いますが、時間が限られています。作業の効率化、・無駄を省くことは子供でも必要です。
日本の教育には飛び級がありませんし、柔軟に対応してほしいと思います。
となると宿題代行に頼んでしまおう、となるのもわかる気がします。
親が代わりにやるのはありか?
お金を払って宿題代行に頼むはなしだけど、親や兄弟が代わりにやるのはどうでしょうか?
これも賛否あります。
たとえお金が発生しなくても、前述した反対意見「ずるい・不公平」「子供に悪い価値観を与える」が当てはまりますよね。
子供同士でやっている子もいたりします。
お金やその他の見返りを条件に、友達や兄弟の宿題をやってあげる代行みたいなことを。子供同士でかわいいげはありますけどね。
海外の子供は小遣い稼ぎに、いらないおもちゃを売ったり、レモネードを売ったりするのは当たり前ですから。
それと同じですよね。
宿題代行が良くないとされる境界はすごく曖昧で、感情に左右されるところが大きいように感じます。
まとめ
モラル的には宿題代行が良くないというのは間違いありません。
それでも宿題代行が横行するのは、親や利用する人のモラルの問題とともに、学校の宿題のあり方も問題になっています。
文科省も学校の宿題が踏襲化されずに、改善するように求めています。
利用する人のモラルと宿題の改善の両方が叶ったとき、宿題代行の需要はなくなるでしょう。
以上、「宿題代行の反対意見まとめ「なぜ宿題代行が横行するのか?」でした。
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